はじめまして。
「誰も歩かなかった韓国の旅」
という本を覚えていますでしょうか?
記入は2005年だったので「今ごろ?」と思われるかもしれません。
私は、著者 宮原誠也 の姪になるものです。
私の父(宮原誠也の弟になりますが)も5年ほど
前から韓国に住んでいます。父が日本に置いてった荷物が
山のようにありますが、今回、私が引越しの為
整理していたら、この本が出てきました。
そういえば晩年、誠也おじさんが書いていた
本だったなと思いだし、この本を旅のガイド
として利用できた人いるのかな〜と思って検索をかけたら
ここにたどり着きました。なにせ幼心に「初!韓国」の人には
絶対に使えない本だと思っていたからです。
当時 普通の韓国の旅行ガイドも編集していたのに何で2冊?
とも思いました。
晩年、韓国に遊びに行くと必ずおじさんがガイドを勤めてくれたのですが、いつもバスに乗るのに走る準備をしていた記憶があります。
呑兵衛なおじさんで朝から1升瓶をかかえていたおじさんでしたが、とても楽しいおじさんでした。
もう無くなってだいぶたちますが、おじさんがあの本(当時は執筆中でしたが)は自分の人生なんだよ といっていたのを思い出します。
本当に人生の締めくくりの本(なにせ最後のあとがきは奥さんですから)になってしまったわけですが、その本で旅をしてくれた方がいるなんて!と感激してしまいました。
長くなってしまいましたが、本当にありがとう御座いました。
| 宮 | 2008/06/12 5:34 PM |
はじめまして。コメント残していただき、ありがとうございます!感激です。
「誰も歩かなかった韓国の旅」は、たまたま図書館で見つけ手にしましたが、あまりのおもしろさにそのまま韓国に持っていって旅をしました。その後ネットでダメもとで注文をしたところ、数週間後に新品本が届き、その時には涙ぐんだほどです。
ガイドブックを読んで、その場所の空気感までも感じられたのは、後にも先にもこの本だけです。本当に韓国が好きな人のために、出版社様には再販してほしいとさえ思っています。できればその際には、姪御さんには加筆などをして最新情報満載にしていただけたらなんて勝手に希望しちゃいます。
宮原さんが亡くなられても、私のようにこの本を読んで韓国を旅している人は、きっとたくさんいることと思います。全く存じあげない著者宮原さんですが、私にとっても、知り合いのおじさんのような親近感がわいていました。
うれしいコメント、本当にありがとうございました!
| | 2008/07/15 2:11 PM |
管理者様へ、突然で失礼ですが、2008・6・12の宮さんのコメントを読みひょっとしたら探している知り合いの宮原様かと思いメールさせてもらいました。以下投稿の宮さま宛て文意ですが、お繋ぎいただければ幸いです。かなわなければ、連絡先だけでもご連絡いただければ望外の喜びでございます。
「おじ様の宮原誠也様についてお伺いしたいのです。実は昭和30から40年代にかけ東京で、私の父の友人で記者の宮原様が居られまして、私自身が小さいときに大変お世話になった方なのですが、後に韓国に渡られムグンファなどの編集に携われたのではないかと思われる方なのですが、もし人違いでしたらご勘弁ください。非常に懐かしく思っているので、すでにお亡くなりになられているとのことですが、もし私の探す宮原さまでしたら、そのことがわかっただけでも、うれしいのです。父も亡くなり、老いた母と、若くて明るくていつも楽しかった宮原様のことを振り返りたいのです。よろしくお願いいたします。」
| 小平省三 | 2011/05/01 2:46 AM |
コメントありがとうございます。『宮』様が小平様のコメントをご確認くだされば良いのですが、少しまってもコメントないようでしたら、お力になれるかわかりませんが、『宮』様にご連絡してみます。
他にも宮原誠也さんの情報などお持ちの方いらっしゃいましたら、コメントしてくださいますように。スレとしてご利用くださって結構です。宮原さんとネット上でお会いできる感じがして管理人としてもとてもうれしいです。
| nishin | 2011/05/03 2:00 PM |
管理人さま 宮原様の件でご連絡いただきありがとうございました。喜んでください、「誰も歩かなかった韓国」の古本をネットで購入しましたら、あとがきに写真まで載っているではありませんか。「ソウル」という本には生年、経歴詳しく出ていました。「ソウル」には比較的若い時の、「誰も〜」には亡くなられたときに近い写真があり、もう感涙ものでした。韓国をくまなく歩いたレポートは、確かに新聞記者の書いたものです。生前にお会いしたかった、私より14歳上の年齢でした。ちょうど、今の私の年齢で亡くなられたようです。早過ぎます。私もハングルを数年前から学び始め、数回も韓国へいっていたので、いつかお会いできると思って
いたのですが、とても残念です。
話は少々それますが、ハングル学び始めたきっかけは、教保文庫で買った「チャゲセゲ」と「タド」という月刊誌を見て
韓国の茶や、日本の茶道がどう紹介されているか、興味があったからです。管理人さまの「美の名言」や日本文化に触れたお話を興味深く拝見させて、いただきました。これも宮原さまのおかげだと思います。話が長すぎました。本当にありがとうございました。奥さんやお子さん、弟さんと姪御さんたちがいらっしゃるし、宮原さんはお幸せだったに違いないですね。
| 小平省三 | 2011/05/14 12:34 AM |
こんにちは。小平様。著者の宮原さんは、お探しされていた方だったのですね。酒豪でいらっしゃったようですね。生きていらっしゃったら、さぞ楽し酒宴をひらけたのではないでしょうか。
「チャゲセゲ」「タド」、はじめて聞いた単語です。
私はお茶好きがこうじて、随分前にはなりますが、つてで、宇治で1か月ほどお茶摘み体験したことがあります。その時感じたのは、できあがるお抹茶の味と、原料となるお茶の葉の姿形にはとても関連性があるということと、お茶摘みはまるで修行のようだということでした。今頃、宇治ではお茶摘み真っ盛りと思います。鶯の声と、小川の流れる音を聞きながら、また無心にお茶を摘んでみたくなりました。
| nishin | 2011/05/15 1:50 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2011/05/15 10:19 PM |
管理人さま
失礼、間違いました、「チャ エ セゲ(茶の世界)」と「タド(茶道)」という雑誌名です。宇治のお茶摘みの話、香りたつような、一服いただいたような気がいたします。ご馳走さまでした。
| 小平 | 2011/05/15 10:22 PM |
こんにちは。雑誌名ありがとうございます!ここ数年、お茶のお稽古を全くしておりません。が、お菓子は良く食べています。いつか偶然にどこかのお茶席でお会いできたら、楽しいですね。それでは。
| nishint | 2011/05/16 2:00 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2013/12/11 11:52 PM |